「ハリマオとはマレー語で 虎のことである」

東南アジアを舞台にした冒険活劇テレビドラマ「快傑ハリマオ」は、山田克郎の少年小説『魔の城』を原作とし、昭和初期にマレー半島で「ハリマオ」と呼ばれた実在の日本人をモデルとした作品である。

ジャワ島で、大国による圧政にしいたげられる民衆を助けるために、白いターバンにサングラスといういでたちで、馬に乗り、部下を従えて、拳銃を武器に戦う謎の男・ハリマオ。

大国と結託して民衆に武器を売りつけようとする死の商人、大国の依頼でハリマオ暗殺を目論む秘密結社、秘密兵器の設計図を狙う悪の組織など、ハリマオはさまざまな敵と戦い、苦しむ民衆を救うために活躍する。

東南アジアを舞台にした西部劇ともいえる本作は、派手な拳銃アクションが子どもたちをとりこにし、大ヒットとなった。カラーテレビがまだ市販されていなかった時代に、試験的に第1話〜第5話のみをカラーフィルムで撮影し、日本初のカラーテレビ映画となった。また、第3部で行われた香港、タイ、カンボジアでのロケも、テレビドラマにおける日本初の海外ロケである。

快傑ハリマオは、「月光仮面」「豹の眼」に続く宣弘社の作品で、 1960年4月〜1961年6月まで日本テレビ系で放送された。
5部構成の全65話。

■第1部:魔の城
拳銃少年/ 少年とハリマオ/ どれい船/ 南海の対決/ 死の待伏/ クラワク岬の襲撃/ クラワク岬の罠/ 黒い爪の招き/ 薄倖の姉弟/ 地獄への道/ 落日の旗/ 魔の城/ 正義の凱歌
■第2部:ソロ河の逆襲
密林の謎/ 本国から来た男/ 地獄部屋の秘密/ 正義挑戦/ 暴かれた秘密/ 決死の爆破/ 秘密指令/ 悪魔の罠/ 包囲網の虎/ 黒い狙撃者/ 呪いの影/ 女スパイの正体/ 燃え上がる勝利
■第3部:アラフラの真珠
ハリケーン来襲/ どくろの首飾/ 南海の襲撃/ 毒蜘蛛の糸/ 連れ去られた船長/ 怒れる巨像/ 乱れとぶ鉄腕/ 奪われた真珠/ アンコールワットの対決/ 香港行き十八便/ 九竜鬼面館/ 忍び寄る魔手/ さよなら香港
■第4部:南蒙の虎
風雲の砂漠/ 怪人の招待/ 恐るべき強敵/ 身代わりの王女/ 死の谷/ 追跡の砂漠/ 砂漠の隼/ 暗黒の国境/ 草原の決闘/ 奇襲作戦/ 狼の正体/ 正邪の死闘/ アジアのあけぼの
■第5部:風雲のパゴダ
黒い襲撃者/ 赤とかげの謎/ 追われる男/ 新しい敵/ 暗躍するスパイ/ アジト急襲/ 白昼の銃撃戦/ 狙撃隊の待伏せ/ 失われた設計図/ 逆襲!赤とかげ/ 消えたハリマオ/ 恐怖の鞄/ 正義の合唱

森下仁丹の一社の提供番組。

原作: 山田克郎(『魔の城』より)
企画: 西村俊一
製作: 小林利雄
脚本: 大村順一、伊上勝
音楽: 小川寛興
監督: 船床定男、田村正蔵

出演: 
ハリマオ - 勝木敏之
太郎 - 町田泉(第1部)、内藤雅之(第2部以降)
令子 - 近藤圭子
ドンゴロスの松 - 中原謙二
タドン小僧 - 崎坂謙二
村雨五郎 - 天津敏

ハリマオ ドンゴロスの松 太郎 タドン小僧

  https://www.youtube.com/watch?v=oAVypT-G2QE

舞台は太平洋戦争直前の東南アジアやモンゴル。
ターバンに黒いサングラス姿のハリマオが、ジャワの独立運動に手を貸す冒険活劇。



正義の使者ハリマオの正体は、日本海軍中尉・大友道夫。

第1回「拳銃少年」から5回「死の待伏」のみ試験的にカラーで制作された。
日本初のカラーテレビ映画なのだが、まだ国内でカラーテレビは市販されていなかった・・・カラーで見た視聴者がいたかどうかは不明。
また、カンボジアのアンコールワットや香港、タイのバンコックなどで子供向けテレビ番組としては、テレビ史上初の海外ロケが行われた。

少年が拳銃を所持していると言った設定も当時としてはOKなんだ(笑)

「豹の眼」の錦華さん役、近藤圭子も出演・・・・・。
劇中挿入「南十字星の歌」は良かった、この人歌手でもあるんだ。
子供の頃にはあの{ロバのパン」のテーマソングを歌っていたそうだ・・
♪ロバのおじさん チンカラリン
チンカラリンロン やってくる・・・・・

放送当時、石森章太郎(後の石ノ森章太郎)が「週刊少年マガジン」で1960年4月17日号から連載した。

原作はテレビと同じく山田克郎と表記されていたが、連載からしばらくは、手塚治虫が鉛筆で下書きをして構成を行い、名前を出さない形で漫画版の事実上の原作を担当していた。

■実在したハリマオ

 谷豊

このドラマには日本人の谷豊という実在のモデルがいた。
明治44年(1911)、福岡県筑紫郡日佐村五十川(現在の福岡県福岡市南区五十川)生まれ、2歳の時、一家は南洋に移住する。

マレー北部からタイ南部を股にかけ英国人や中国人の財産を狙った盗賊団の頭目で、300人の部下がいたという。
盗みはするが人を殺傷せず、盗んだ金は貧しい人に分け与え、 現地の人から「ハリマオ(マレーの虎)」とよばれた。

1941年9月、藤原岩市(1908-86)を機関長とする諜報組織「F機関」が発足し谷豊はその一員となった、1942年3月にマラリアにかかりシンガポールの病院で亡くなるまで、日本軍に協力した。

 

 

 



 

 

 

 

 

 

 

inserted by FC2 system